CREATIVE SCENE

コロコロ®フロアクリン開発篇

カーペットはもちろん、フローリングのゴミも⼀本でキレイにできるコロコロ®フロアクリン。この製品は企画と技術がうまく連動して開発・販売された製品でした。フロアクリンの⽣まれる開発前夜に、どんなストーリーがあったのか。当時、技術開発した川⽥と、企画を担った河内の2⼈にスポットを当てて、紐解いていきます。
川⽥ 勉
「アレとコレをこうすれば、できるんじゃなかろうか。」川⽥は新しいコロコロ®開発のアイデアを、頭に巡らせていた。不可能だと思われていた技術だったが、実現できる⼿がかりを⾒つけたのだった。
川⽥はその3年前、2000年にニトムズの⾨を叩いた。前職は三重でBtoB向けの技術開発をしていた。⾃分が開発したものを家族に⾒せられたらおもしろいかな、という軽い気持ちと、実家のある豊橋の地に腰を据えようという強い想いから転職に踏み切った。携わっていたホットメルトの粘着剤の技術には⾃信がある。その知識と経験を活かせる会社は、Nittoしかないと思っていた。
「ぼくは運だけで⽣きてるんですよ。」と当時を振り返って川⽥は⾔う。訪問するもNittoの募集はなかった。だが、Nittoグループの中で唯⼀BtoCの商材を扱っているニトムズはどうかと紹介される。正直、名前も知らない会社であったが、Nittoの技術を活かしてエンドユーザーに製品を提供できる。まさに思い描いていた環境を偶然にも⼿に⼊れることができた。
川⽥はすぐにその能⼒を買われ、いろいろな商品開発部⾨を転々としていく。「ほんとコロコロコロコロ変わったんです。」と⾔うように、DIYの開発に就いたと思ったら、すぐに清掃⽤品の開発担当になり、また1年もしないうちに他の担当へと異動していく数年を過ごした。
あるとき新しい開発部⻑がやってきた。Nittoからの出向で就任した⼈だ。その新部⻑からのひと⾔で、運命が動き出す。「ありモノの材料の組み合わせではなく、⾃社で開発した新しい材料で、新しい製品をつくろう。川⽥くん、要素技術を開発してくれないか。」要素技術というのは、製品の根幹となっている技術のこと。新しい材料を開発すること。ニトムズで⼿がけられる⼈間はいなかったため、BtoBの技術開発の経験がある川⽥に⽩⽻の⽮が⽴ったのだ。
要素技術開発は、担当している商品開発と兼務の担当。商品開発の先輩⽅は、コロコロ®を開発してきた⽅々。⽇々の業務をしながら、開発の悩みや、実現にいたらなかったアイデアを聞いていた。その中のひとつに、従来のカーペット⽤のコロコロ®と、フローリング⽤のコロコロ®。今はそれぞれ専⽤の使い⽅しかできないが、1本でどっちも使えるコロコロ®があったらいいよね、というアイデアがあった。それを実現させるには、両⽅の床材に適した糊を組み合わせるしかない。しかしホットメルトは、違う糊同⼠を貼り合わせてしばらくすると、中の組成物が移⾏し合って特性が変わってしまう。先輩⽅はお⼿上げの様⼦だったが、川⽥にはちょっとしたヒラメキがあった。いけるんじゃないかー。⾃然と胸の奥が熱くなっていく。昂る気持ちを馴らしながら、開発部⻑の元へ⾜を進めた。
河内 和浩
「挑戦しがいのある会社に⼊りたかった。」その⾔葉どおり河内の経歴は、挑戦という⾔葉そのもの。営業として東京、福岡、広島と全国に転属し、その⼟地々々で結果を残してきた。特に20代の最後を過ごした広島では若くして所⻑を任されるなど、社内の期待はぐんと増していく。
「広島がいちばん⼤変だったなあ。」河内は懐かしく当時を振り返る。忙しすぎて業務の細かな記憶はあまりない。だが初めてマネージメントするプレッシャーに押し潰されそうになったことは、今でもくっきりと思い出せるという。失敗や問題も多くあったが、実は河内にとっては、あまり⼤きな問題ではなかった。河内は感性を⼤切にするタイプの⼈間だ。良い意味での“いいかげんさ”を持っていた。だからこそ挑戦しつづけられるのだ。失敗を恐れずに、まずやってみる。そこで得られることのほうが多いことを肌感で知っているからだ。後に代表取締役として、ニトムズ初の海外現地法⼈ニトムズ韓国を⽴ち上げる。あるいは欧⽶への販促強化として、ニトムズ初のヨーロッパ勤務というキャリアに⾄るのだから、その強い精神に⽀えられた⾏動⼒が、どれだけ成果を上げるのかを証明している。(だが今回その話は、別の話。)
河内は広島での活躍を終えると、東京で商品企画の部⾨に就いた。⽇⽤品、DIY、そしてコロコロ®の商品企画。予てから「俺はミスターコロコロ®になる!」と息巻いていた河内にとって、コロコロ®の商品企画は、待望の職務。この⼤きいとはいえない会社から、あっと⾔わせる製品を世に出してやるぞ、と野⼼を燃やしていた。
⾔わずもがなコロコロ®は、カーペット⽤でスタートした製品。だが⽇本⼈の住環境は変化していき、カーペットや畳からフローリングへとスタンダードが遷移していく。その環境に合わせるように、当然コロコロ®もフローリング⽤を販売する。ただ、そこそこの売上げはあったものの、あまり使⽤感が良くなく伸び悩んでいた。さらに住環境は変わり、フローリングの上にラグマットを敷くことが主流に。対応するには、カーペット⽤とフローリング⽤の2本のコロコロ®が必要になる。両⽅売れてくれれば企業としては良い。だが1つの床材だけにしか使えないものでは、お客様は満⾜しない。満⾜できない製品が⽣き残れるはずがない。床材環境に関わらず、満⾜して使⽤してもらえるコロコロ®をつくれないものか。河内は⾏き詰まった。ほどなく商品企画の拠点を豊橋に移すことになる。「技術開発は豊橋にいる。近くにいてもっと連携すればヒットする製品を企画できるはずだ。」豊橋という舞台で、川⽥と河内の2⼈が相まみえる。この移転によって、役者は揃ったのだ。
新コロコロ®の完成
「数⼗億の売上になるだろうなあ。」河内は考えていた。どんな床材にも使えるコロコロ®がつくれたら、いまのマーケットでどのくらい反応があるだろうか。既に発売中のカーペット⽤のコロコロ®の年間売上が数千万円であることを考えれば、⼤胆な推測だ。それは願望だと⾔う⼈間もいるだろうけれど、河内は本気でそう踏んでいた。豊橋に移ってしばらくすると、ある噂を聞きつけた。開発の1⼈が何やら企てている̶̶。「おもしろそうじゃないか。」
川⽥はこの1年をかけて、着想をかたちにしていった。まずは、糊を2層にすること。糊同⼠の特性をそのままに、2つの糊を組み合わせることに成功する。ただこれだけでは製品にはならない。コロコロ®は、ゴミを取るためのもの。この主機能を果たせてこそ製品となる。糊の配合⽐、塗⼯する⾯積、バランス。そして基材の選定。それらを経て⼿応えをつかんだ。「いける。」まだ整えるべき条件はあるが、製品化できる確信を得た。川⽥は素案の企画書をひっさげて、商品企画との打合せに向かった。
川⽥の案を聞いた河内は興奮していた。思い描いていた製品ができるかもしれない。ただ⼤きな障壁が⽴ちはだかっていた。資⾦だ。このコロコロ®を製品化するには、まったく新しい機械が必要だという。当時会社は設備投資にかなり弱腰で「今ある機械の稼働率を上げろ!」というのがお決まりのパターン。売れるのか、はたまた、製品になるのかすらも分からないものに会社が資⾦投⼊する決断が下せるのか。「俺に任せろ。」河内は⾃ら試算していた数字とともに上程し、ついには会社を説得する。いよいよ製品化に踏み切れるのだ。
製品の名は「コロコロ®フロアクリン」とした。本来であればネーミングは商品企画の仕事であるが、川⽥も参加して決めた。逆に河内も技術に⼊り込んで討議するなど、お互い⼊り交じってつくり上げていった。「あれほど企画と技術が連動・連携した仕事は今もないんじゃないか。」と2⼈は振り返る。発売されたコロコロ®フロアクリンは、河内の予想をも⼤きく超え、倍近くの売上になった。Nittoの持つ技術のすべてを使い、Nittoグループにもない新しい⼿法でつくられたコロコロ®フロアクリン。⼤きなヒットを⽣む製品は、たった数⼈の情熱からはじまった。ひとりの⼒は、決して⼩さくはない。壁を突破するのはいつも、ひとりの⼈間の熱い想いからだ。ニトムズは、それを知っている。
未来のコロコロ®について
川田
今後はグローバルな展開になります。例えば中国や韓国、それぞれの国の住環境にあったコロコロ®。各エリアや国の専⽤コロコロ®。その地場の⽅に満⾜いただけるものをつくる。そしてその本家はこの⽇本だよ、という形になるのが、いまの僕の夢です。
河内
もっと若年層に、幼稚園児でもパッと使えるような習慣をつけたい。後はグローバル、特にヨーロッパに可能性があると踏んでいる。寒い地域で売れるというデータがある。ドイツを中心にヨーロッパは繊細な人が多い印象がある。欧米に乗り込んでいるスタッフに期待したい。
お互いについて
川田 → 河内
いろんな⼈とすぐ打ち解けてしまうところが凄い。相⼿をすぐ巻き込んでしまう能⼒がある。例えば新しい技術、新しい設備で新しいものをつくるときは、いろんな部署と関係調整しなければいけない。そういうときにやっぱり交渉上⼿で頼りになります。ただね、悪い⾔い⽅したら“ほんとテキトー”(笑)
河内 → 川田
川田さんのストロングポイントは、物怖じしないところ。これは社内で群を抜いている。中国、韓国のお客さんとの会話でも、俺には言えないことも平気で言っちゃう。コロコロ®のシェアはいま50%以上あるけど、その背景は彼の飄々として物怖じしないところからきているんじゃないですかね。
就活⽣にメッセージを。
どんな⼈と未来をつくっていきたいか
川田
型にはまった⼈よりも、ちょっと崩れてる⼈。個⼈的には特徴のある⼈が好きですね。学⽣の本分は学業なのは間違いないけれど、勉強だけ⼀⽣懸命というのはどうなのかな。私たちの仕事は⾶んだ発想が必要です。みんなが思いつくようなものは絶対誰かがやっている。⾶んだ発想するためには “他⼈から⾒たら変なやつ”くらいがちょうどいい。勉強だけではなくて学⽣時代にしかできないことを⾒つけて、得意なところを養ってもらえるといいなと思います。それを⼀⽣懸命やって欲しい。
河内
「考動力」。考える習慣を持っていただきたいです。考えながら動いていく。そして実現する。考える習慣を常に持っていれば、何の仕事でも通用するんじゃないですか。著名な方とお話しする機会がありますが、大体みなさん言うのは『今の20代は考える力がない』。ぜんぶやることを聞いてしまうと。考える習慣を持っているとチャンスですよね。ニトムズが探しているのは性格が男前で、腹黒な人間。というのは半分冗談ですけど。半分は本気です。

※所属部署は取材当時のものです。